ハラスメントのコミュニケーション構造

元いた課の同僚(同じ部の同僚とも言う)に、『ハラスメントは連鎖する』(光文社新書)という本を借りた。そして、今まだ第1章を読んでいる最中なんですが…居ても立ってもいられずに、軽い感想をアップ。

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)

まず、「彼女(同僚)も悩んでいるんだね」と心で涙。うううううう(泣)。強い人だから逆にサクッとある日突然辞めてしまうのではないかと姐さんは却って心配だわよ、うううう。

で、次。
何が分かったかというと、ハラスメントのコミュニケーション構造が分かった。ぃゃ既に、これまで散々大量の文献をあさってきたので、ハラスメントに伴い現れる事象や、その大まかな構造は理解していた。でもさすが新書だけあって、とても端的にハラスメントの構図がまとめられており、「ぁーぁーそういうことね!」と膝を叩くことしきり。まあ端折りすぎて過激な論調に読めるところも散見されるけれど(「正常」もまた病である、とか、親から子へ行われる躾は須らくハラスメントの可能性を孕んでいる、といったくだりなどは誤解されやすいと思う)、でもハラスメントの何たるかを肌身で知っている人間は“正しく”読むことができると思う。そこまで言わざるをえない、やむなし、というところですわ。

たとえば、ハラッサーに対してぼんやりと感じていた「人格が一定しない」という感覚。“彼ら”は、どうも私そのものを脅威に感じているようだが、なぜか。第1章の半ばまでしか読んでいないが、既に上記の2点について謎が氷解した。なるほどねー。もー、どうしようもないねー。あっはっは!

なんか、きっと、ハラッサーって、晴れることのない永遠の曇り空の下で生きてるんだろうね。自らの不幸に気付かずに、何となく晴れない気持ちで生きていくんだろうね。不幸なら不幸と「ドン底」感に浸れる私に脅威を感じて生きていくがいいさ。はは、あー、サッパリ☆