「心」って…

「心が痛む」とか言いますが、アレ、感覚としてよく分かる。

心が体の一部として存在しているような感覚で、(たとえば、手の存在を脳が認識しているのと同じ感覚で)心を捉えられるというのは、とっても不思議だなあ、と思う。感情と連動して脳内でいろいろシナプスがピーピーいって、ソレに反応して臓器がウゾウゾ動いてるだけなんだろうけど、胸付近に「心」という臓器があるような気すらします。

最近思うのですが。心と体がこうして連動してるからこそ、心で感じたことは信じられるし、無視しちゃ駄目なのですね。

幽体離脱みたいに、心と体が別々に存在しているわけでない。「気合いが足りないから●●できないんだ」「根性!」「心頭滅却す」「病は気から」etc.これらの言葉は、だからちょっと体のことを無視しすぎ、心(精神性)を重視しすぎ、と思う。「火事場のクソ力」(心によって、体の能力が限界まで引き出される状態)はあくまで瞬発力であって、持続は不可能。頑張りすぎれば、当然、体を壊すのが自然の理ってものだ。

「体は心の乗りモノ」程度に考えていた私は、心を重視しすぎて体をないがしろにしていた気がする。逆もしかりで、体が丈夫なばっかりに「大丈夫、大丈夫」と思っているうちに心のほうが壊れる人だっているだろう。心と体はつながっている。どっちも無視しちゃいかんのだ。

「なんだそりゃー!」「なにそれー!」って思ったとき、臓器部分がウゾウゾするなら、その感覚を信じたほうがいい。というわけで、今日は私の臓器はウゾウゾしっぱなし。随分と心のほうも痛んでいるようです。どうやって、手当てをいたしましょうかね…。

それいしても、心と体を切り離すには、やはり宗教が一番の手段なのかしら?あの、この世の何もかも置き去りにして天に昇っていく感じ。辛いことが今より多かった時代にはさぞかし人間の心を救ってくれたのだろうな。何だか今日は昔捨てた夢がまたモゾモゾと復活しかけました。昔捨てた夢……。そう、ソレは、出家だーっっ!!出家のことを考えて心の手当てをしよう…。はあ。