魔法の“力”

そろそろ、今の会社に入って1年が経とうとしております。
まあ〜…はっきりいって、
一年後にまだいるかどうか断言できない自分がおります。

ほんと、自分一人の身を守れても仕方がない、
ということがよく分かりました。
一体ヒトはどのように“力”にのまれていくのか、を観察する毎日はあまり気持ちのよいものではありません。
世の中には一定のルールがあって、それは常識とかマナーとか倫理とかいろいろな言葉であらわされていますが、そのルールを平気で無視する人間の前でヒトはいかに無力なことか…。

ルールを平気で無視する人間に対峙したとき、“怒り”という感情がどれだけ重要かを思い知りました。ただ不満に思うだけでは、「不満に思う自分が悪い」と自分で自分を責めるように相手にうまくコントロールされてしまいます。“怒り”を正しく維持するには、「自分をこんなに侵害する人間は絶対悪だ」ときっぱり思えるような核=自尊感情が必要です。自分は侵害されて当然の存在なのかも…なんて思うような人は、恐らく世の中ではうまく生きていけないのでしょう。

私が小さいころから感じていたことですが、日本は“優しい”ことを尊びますね。でも日本の“優しい”は自分の身を削ることと同義な気がします。そして“優しい”の裏には「私がこんなに身を削っているのだから、あなたも…」という薄汚い期待が隠れていることも多いように思います。「だからあなたも我慢しなさい」「だからあなたも黙っていなさい」「だからあなたも…」。でも、自分の身を削ることや、自分の意思を曲げて我慢することを美徳とする人は、前述の、平気でルールを無視する人の前では無力です。ただただ身を削らされていくだけです。いつまでたっても期待が叶えられることはありません。日本でいうところの“優しい”は、へたをすると英語の“ナイーブ”と同義かもしれませんね。

正しく怒り、声を挙げられる人は世の中にあまり多くないのかもしれません。かくいう私も、なかなかうまく実行できません。今の私では自分一人を守るので精一杯です。“力”に飲み込まれた人を「哀れだなあ」と遠く眺めやるだけです(遠くにいないと“力”に飲み込まれた側の憂さ晴らしに巻き込まれますしね)。

私は特に上昇志向が強いわけでもなく、出世欲もなく、権力も欲しいと思ったことがありません。でも、今は男性的“力”が欲しい。別にオトコになりたいわけじゃありません。この社会で何かをするには女性的“力”は役に立たないことが多いからです。これがオトコ社会ってヤツなんでしょうかね、先生?(誰)つまるところ、地位さえあればオトコ社会ではある一定の魔法の“力”が得られるようですから、私もそれが欲しいです。

でも、どうやって手に入れられるものなんだろう>地位。これまで一度も考えたことがないから、どうしていいか分からないです。乙女的世界、お花畑的世界、綺麗なものがいっぱいの世界…そんな世界が大好きなのに、なんでこんなことになるんだよ、まったく信じられんよ。