真の終焉

本日、前の会社で同僚だった仲間の結婚式2次会に出席してきた。
たくさんの辛いことを励ましあいながら乗り越えた、戦友のような人。
同期の桜といいますが、そういう人とは年に1〜2回しか合わなくても通じ合うものがたくさんある。なので彼女のウエディング姿には、ジーンとした。暫く会っていなかった、まだ前の会社に在籍中の先輩とも久々に再会したこともあり、何だか色んなことが走馬灯のように一瞬で脳裏を駆け抜けた。


というわけで、とっても楽しい時を過ごしたのだけど、そのなかで、一昨年の年末別れた男の話が当然のように出てきた。何と、私と別れた3カ月後に、そのときの相手と入籍したそうだ。今も同じ職場の同じ部署で2人とも働いていて、男のほうはその部署の長になっているそうだ。胸はチクリとも痛まず、ふっつーに笑顔で話を聞いてしまった。


遠くなったんだなあ…。遠い遠いところまで来たんだなあ。走馬灯に拍車がかかったのはいうまでもない。あの頃の私は、ボロボロに傷ついてガリガリに痩せて毎日ただただ過ごすのがやっと、という状態だった。そんな3カ月をたくさんの人に励まされて乗り越えて、「終わった!」と自分のなかで決着をつけて、最後のメールを送った、その月に彼は結婚していたというわけだ。くしくも、その2カ月後。私は、彼から「僕たち入籍して引越ししました〜」みたいな手紙をもらうという夢を見ている。当たってたよ、私の夢。いやはや……。ほんと、私は去年1年、よく頑張った。「初めて自分で自分を褒めてあげたい」。


傷はもう全然痛まない。いっそ思いっきり泣いたほうがスッキリするんじゃないかと思ったが、深夜まで懐かしい友人達と盛り上がって帰宅して一人になっても、何か…落ち込むというのとは違う、泣くのとも違う、とにかく沈思するのみで涙ひとつ出ない。友達にメールで報告してみようかと思ったけど、それほどのことでもないような気もして、とりあえずブログに書いている次第。

しかし、何だ。今現在のあの男の話をツラツラ聞くに「まあ別れて正解だったんだなあ」と改めて思うと記しておこうか…。

とりあえず、こうモヤモヤしたときは泣くのが一番!と、切ない系の曲を聴いて気分を盛り上げてみたのだけど。悲しいのは、ただただ。本当のもの、真実のもの、美しいものなんて、あの関係にはなかったのかもしれない、というただそれだけで、それはもうMさんは関係なく自分の問題でしかなく。それどころか、これは悲しいという感情ですらなく、諸行無常の響きあり、とか、ゆくかわのながれはたえずして、とか、そういった無常感でしかないという結論に至り。茫漠とした人の世に、塵芥な人の人生に、ちっぽけな自分の人生に一粒涙をこぼしてみた、みたいな「どこのブッタ?」的感情しか湧いてこないのだ。それもだからといって、絶望感もなく。かえって、逞しく前向きに、諦めるものは諦め、諦めるべきではないものは他人になんといわれようと諦めず、理想を掲げ、美しいものがあることを信じ、醜いものは受け入れ、毎日を楽しく生きていくぞ、という気持ちが強く湧いてきたぐらいだ。遠いところまで来たもんだ。


最近、「自分はこんな、楽してていいのかな」とか「毎日幸せだけど、いいのかな」とか、まるで在家のまま出家してしまったような心境になっていたのだけど、「これでいいのだ」という気分になってきた。生まれてこのかた、自分では気付かなかったけど、充分、辛い思いも苦しい思いもしてきたのだから、その分、今やっと楽になったんだろう。人生のバランスが取られ始めたのだと思う。これまでの30年分、これからの30年はきっと楽だわ。そして善き婆ちゃんにきっとなるのだわ。