色艶

小説とか漫画に寝食忘れて夢中になったことは多々あれど、
動いている作品(映画、舞台、etc.)で
夢中になったのは宮崎駿作品だけだった私。
そんな私は、もう過去の私YO☆

何度見ても飽きないほど夢中になる要因として、
「色」とか「艶」っつーものが存在するってことが
今回ほとほと身に染みて分かりました。
もちろん色艶が大切なことは知っていましたよ昔から、ええ。

たとえば高村薫作品。
高2時代の一時期、私の成績が下がったのは高村薫のせいだと断言できるほどはまったんですが、その原因はやっぱり色艶だったと思います。
高村薫が造形する男性キャラクターは、説明するのが難しい不思議な色気があるのです。別にエロいシーンがあるわけでも、超かっこいいわけでも何でもないのに、色気を感じる。
一体何が色気を醸すのかは分かりませんが、それが作家としての才能ってものなんでしょうなあ。

しかし、あれは文章だったので何度でも好きなときに読み返すことができたけど…今回の場合は劇場まで見に行かなきゃならんわけで、夢中になるためにかかる労力が半端ないです。でも、そんな労力すら最近は楽しく感じるくらい夢中。もう全然関係ないけど仕事にまで身が入るぐらいよ。

というわけで、さらにもう1枚チケットを買い足しました。本当はもっと見たいけど、もうこれ以上見るには仕事を休むか、ウン十万出して千秋楽を見に行くかしかないので、さすがに今回の1枚で打ち止め。はー…残念。

ま、そんなわけで。色艶の真の力を体感する日々です。色気ってのは、恐らく持って生まれてくるもので、努力したからといって手に入るものでもないんだろうなあ。美形だからといって色気があるわけでもなく、色気があるからといって格別美形なわけでもなく…。

そして色艶は本能に訴えかけるものなだけに観客の反応もダイレクトで、正直に公演動員数に跳ね返るのでしょうね。最初、私は興行上の理由から動員数の大切さを理解していたのだけれど(客が入らなければ金が手に入らず次の公演or作品をつくることができない、という単純明快な理由)、でも舞台に限っていえば、動員数というのは最も正直な「魅力の有無の物差し」なのだという事実がやっと腹で理解できました。残酷なようですが、客を呼べない舞台人は早々に舞台を去るべき、というのが真理なのでしょう。すごい世界だ…。